アファンタジアと聴覚記憶

現状では頭の中で何も想像できない人のことをアファンタジアと呼ぶというのが基本のため分かりずらくなっているが、様々なところで言及されているようにアファンタジアの人は恐らく脳内で音の再現もすることも出来ない。視覚のみに限らず聴覚もということだ。
これはどういうことかというと、

  • 好きな声優や俳優の声で、文を、耳で聞くように脳内で読み上げるということが出来ない(いわゆる脳内再生余裕でした)
  • 何度か聞いたことがある曲は実際聞いているように頭で再生できる
  • 少し前からずっと前にかけて、人が何かをしゃべっていた場面を思い出してまたその声を音として聞ける
  • 知り合いの口癖や深いアドバイスをその場面の感情とともに再び聞けたりメールなどのチャットがその人の声ではっきりと聞こえたりする
  • 小説を読んでいる際、登場人物ごとに声が割り振られ臨場感をもってその会話が聞こえる

などが健常者には出来るらしい。にわかには信じられないけど…
これらは、他の現象として当人に認知されていたりする。例えば、上の例を取ると、

  • 好きな作品で何かを想像したり自分を励ましたりが出来ず、それゆえ他の趣味仲間より好きの度合いが低く感じられる
  • 歌詞を覚えられなければ次のリズムも原キーも浮かべられない、音程も歌ってみなければ確かめられず自分の口から出る音も予期できない、そもそも曲を覚えていない、歌い癖も真似できないと音程は分かるのに音痴(上手く歌えない人)な人となる
  • 自己紹介をされても名前を覚えられなかったり芸能人の物まねが出来なかったり先生の注意や少し前に友達が言っていた面白いことを正確に思い出すことが出来ないなどの差で出てくる。ライブのMCが話していたことを覚えていなかったりアニメの好きなセリフを挙げられない・一字一句を言えないなどの現象も起こり総じて記憶力が悪いという自覚をする
  • 友達にあるあるとしていわれた友達の口癖がピンと来なかったり、記憶に強く残りそうなアドバイスや面白かったことも当時の感情と一緒に失くしてしまい想い出したり人に話すことが困難であったりする。亡くなった親しい人の手紙を読んでふと優しくしてくれたあの声音を思い出すことがなかったりもする。総じるなら情に冷たいインパクトの薄い人生だと捉えられがち
  • 小説を記憶していなかったり他の人ほど楽しめていなかったりする。健常者の人の中には映画で見たか本で読んだか区別がつかないという人もいるし、またそもそもキャラが勝手に動いたなどと言うような作家たちがそういう能力で情景を浮かべたりして読む前提で作るものであるため楽しめている度合いは推して知るべし

視覚の方と比べ分かりづらく、自分と周りは同じなんだろうと無意識に思っているせいで気づきずらいが地味にこの点だけでも大きな枷を背負っているようにも感じられる。
しかしここで書かれていないことでは、基本的に記憶力が悪い人で括れることからわかるように、勉強面への弊害も甚大な感じがする。すぐ忘れるし先生に習った通りに再現とか不可能だし、真似やら再現やらっていう概念はアファンタジアの人が健常者と同じ認識で用いることはきっと二度とないのだろう…
非アファンタジア向けに書くと、メモを取ろうとしても、1文しゃべり終わってからではもう正確には書けない

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